大楽閔堂を知る
大楽閔堂とは
大楽閔堂では、人間として正しく生きていくための「考え方」「見方」「捉え方」を徹底的に系統立てて、大局(すべてのこと)を学んでいただきます。
勉強会スタイルで神様の教えを学びながら理解をし、日常生活の中で応用活用していきます。
大楽閔堂の成り立ち
- 最高を意味します
- ただ単にラクになることではなく、人生のこと分けがよくわかると、生きることに穏やかに楽に生きられるようになるという意味です
- 一般的に学問は「問」という字ですが、それは人間の学問。大楽閔堂は神様の学問を教わる場ですから、「閔」という字で表します。
堂主ご紹介
初代堂主 窪 光波 先生(1926年―2012年)
天界から神の代理人としての任を賜り、人間界に降りてこられた御方である。
1926年1月 山口県生まれ。
幼少の頃より予知能力を発揮し、地元の人々を災害から救われたエピソード多数。
1984年 神からの修業を積んで創造主から直接教えを受けるようになる。
神より女性の霊媒師を一人育てよとの命を受け、探していたところ、白石暁衣(後の窪倖摂)と出会い、直後から本格的ワンツーマンでの指導をする。
1992年11月 神からの許可を得て、大楽閔堂の前身である「燦の会」を立ち上げる。
この教えは、神の強いご意向により、長い時間をかけて準備された教えである。
神は人心改革を強要されていかれる。
正確に正しく認識していただくために、教えそのものを、ものの道理で教えていくやり方ですすめられている。
時間を掛けて学ばないと、人間は理解できないことがよく分かった上での勉強会スタイルになされたのである。
2012年9月85歳で天界へ戻られる。
光波先生からのメッセージ
よく見ようとしないから、見えるものも見えない。
気付こうとしないから、考えようともしない。
こんなことでは、分かる事でも分からない。
他人様がどうこうではなく。自分自身で、必要な事を確かめていく考えと行為が、人生には必要なのである。自分で確かめたものは(経験したことは)自信となる。 力となる。
よりよく、自分を活かしていける。
人生の視点と基点を明確に捉えていかないと、結局自分が人後に落ちる。
明暗を分けていくのである。
現実は厳しいのである。
平成八年五月五日
二代目堂主 窪 倖摂 先生
昭和17年熊本県生まれ。
22歳で結婚、2児の母親となる傍ら、父親の家業を受け継ぎ、数々の苦難と苦労を乗り越え、家業を熊本一の売り上げにまで成長させる。
40歳の時、「自分は何かやることがある」と一大決心。家業の営業権を信頼できる方に譲渡し、上京する。
平成元年に異業種交流会「リンケージシステムズ」を設立。
その後47歳で真理・道理を説かれた 大楽閔堂 初代堂主 窪 光波 先生と出会う。
自分の目指していた生き方との出会いを確信し、寝食もいとわず、師より直接教授を受け、光波先生と正式に夫婦となる。
以後、師の後継者として平成13年5月8日、大楽閔堂教授としての許可を神から正式に賜り、平成24年9月、窪 光波 先生のご逝去に伴い、正式に大楽閔堂二代目堂主に就任。
今日まで、東京高輪の教室を中心に、埼玉、名古屋で毎月勉強会を開き、年令・性別・肩書きを越え、「人生とは何ぞや」「人間としての生き方」の勉強会を進化させることになった。
令和2年10月に「人間の真実を求め続けて」を出版。
(次期)三代目堂主 窪 康一朗先生
初代堂主窪光波先生の長男。
昭和33年光波先生が神直々に祈願されて誕生された、大楽閔堂の次期三代目堂主。
三代目就任の際の堂主名は「窪 光和」である。